忍者ブログ
新入生のデーター、戦績、ポジション別の選手パスワードなど、実況パワフルプロ野球15の栄冠ナインをつづったブログです。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




平均よりも高い能力だったので1年の秋からレギュラー。しかし地区大会までの4試合で2安打と振るわず。甲子園でも2試合連続無安打だったが、準々決勝で2安打、準決勝で1安打1四球とどうにか結果を残す。2年の夏は8番に入り2試合連続2安打、3回戦と準決勝でも1安打ずつはなち、3割以上の打率で予選を突破。甲子園では3回戦でタイムリー、準々決勝で3安打、決勝では2安打に1四球、1犠打と無駄のない働きでスタメンの中では最も高い3割7分5厘の打率をマークし、夏の大会3連覇を達成。秋から3番に入り都大会では2試合連続ヒット、地区大会でも2試合連続タイムリーと4試合を通して5割、3打点、4盗塁と活躍。甲子園でも敗退するまでの4試合全てでヒットと通算打率を3割に乗せた。

3年の夏は2回戦と準々決勝で無安打に抑えられたが、それ以外の4試合では複数安打とヒットを量産し、4割2分3厘、2打点、8盗塁と活躍。しかし甲子園では1四球を選んだだけでノーヒット、チームも敗れた。打点そのものはあまり増えなかったが、通算15盗塁は同期の中では最多で、4番の前で得点チャンスを演出した。

PR



パワーはわずか12と貧弱だったが、他の能力値は高かったので、1年の秋からレギュラーとなる。都大会の初戦は無安打も、以降の3試合でヒット、敬遠など四球も3つ選び下位でよくチャンスを作った。しかし甲子園では2試合でヒットを1本ずつ打ったのみで、実力不足を露呈。2年の夏も8番に入り、準々決勝までの3試合でヒットをはなったが、準決勝、決勝ではノーヒットと打率は2割そこそこに終わった。甲子園では初戦でノーヒットも、以降は毎試合1安打はなち、2割5分、2打点、4盗塁と下位としてはまずまずの働きで甲子園を制覇。秋から3番を任され都大会2試合ともに3安打、地区大会でも2試合連続安打とヒットを量産、打点も5つ稼ぐ。甲子園でもヒットを打ち続け、準々決勝以降の3試合では複数安打と甲子園連覇に貢献。

3年の夏は初戦で2安打2打点4盗塁、2戦目も2安打とチャンスを演出。3回戦こそ無安打だったが、準々決勝で本塁打もあり3打点、準決勝も3打点と複数安打を記録。決勝でもヒットを打ち、予選は4割5分5厘、8打点、6盗塁と素晴らしい活躍を見せた。甲子園でも初戦で2点タイムリーをはなつなど全試合でヒット。決勝ではゴロで貴重な打点をあげ、夏の3連覇、大会5連覇を達成。通算打率と打点は同期の中で最多、盗塁も3番目に多い16を記録。




平均よりほんの少し能力が高い選手。同ポジションの守屋が期待されなかったのに対し、増田には早くから期待を寄せていたので、1年の秋からレギュラーとなる。が、地区大会までの3試合でヒット1本とまだまだ実力不足。2年の夏も3回戦でタイムリー1本、準決勝と決勝で1安打ずつはなったが打率は2割を下回った。甲子園でも5試合で3安打に終わったがチームは優勝。秋から6番を任され、都大会初戦で3安打をマークするなど3試合でヒット。しかし春の甲子園でも夏と同様3安打に終わり、チームの優勝にたいした貢献はできなかった。

3年の夏は1番を任されると準決勝まで5試合連続ヒット。決勝は無安打だったが、予選は3割1分8厘、3打点、11盗塁と1番としてはじゅうぶん役割を果たした。甲子園では2試合連続ヒット、打点も犠飛とタイムリーで2打点挙げたが、その後2試合は無安打。決勝でヒットを1本はなったものの、最後の甲子園も3安打どまりに終わってしまった。通算21盗塁はこの世代ではトップだが、打率は同期のレギュラーのなかでは最低の数字。数字の面ではもっと良い選手がいたのでドラフトで指名されるとは思わなかった。




同期の中でも能力は低かったので2年の夏までまったく出番はなかった。秋からようやくレギュラーとして試合に出場。都大会では2試合連続安打、地区大会の2試合でも犠飛とタイムリーで打点を挙げた。春の甲子園では準決勝で2本のタイムリーを打つなど全試合でヒット、打率も3割ちょうどと結果を残し春の甲子園を制覇。

3年の夏は6番を任され、2回戦で3安打、準々決勝ではタイムリー3本で3打点と出場した5試合全てでヒットをはなち、予選はチームトップとなる4割7分4厘の打率に5打点、6盗塁。甲子園でも好調を維持し、初戦で2本のタイムリーを含む4安打4打点、決勝では先制のソロに2本の2点タイムリーで5打点の活躍。甲子園ではチームトップとなる11安打で5割5分、11打点。盗塁も4つ決め、夏の連覇の立役者となった。通算打率と打点も同期の中では最多、盗塁も2番目に多い15を記録するなど、当初の能力からは考えられないほどの実績を残した。けっこう長い年数をプレイしてるけど、この能力でなんでそんなに打てるのか、やっぱりわからない。




能力としては平均以下だったが1年の秋からスタメン出場のチャンスを得て、都大会2回戦で初ヒットを記録。2年の夏は控えで出番のないまま敗戦。秋は2番に入り、都大会初戦でタイムリー、2回戦ではソロを含む3安打と活躍したが、地区大会は3三振で敗れた。

3年の夏は3番を任され2試合連続ヒット。また3試合連続で2盗塁ずつ決めたが、準々決勝から3試合連続で無安打と打率は1割5分8厘と失速。しかし甲子園では全試合でヒット、決勝では2ランと甲子園制覇。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
フリーエリア
バーコード
ブログ内検索