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新入生のデーター、戦績、ポジション別の選手パスワードなど、実況パワフルプロ野球15の栄冠ナインをつづったブログです。
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1年の秋からレギュラーとなり、都大会の初戦で初ヒットがホームラン、2戦目はタイムリーを含む2安打、地区大会でもヒット1本と、期待していた以上の働きを見せる。2年の夏は2番を任され、初戦は1安打、1犠打としっかりつなぎの役割を果たしてくれたが、2戦目は無安打に終わり、チームは敗れた。秋から3番に入り、初戦はタイムリー1本に犠飛2本の3打点、2戦目は1安打1四球2盗塁と、打率そのものは決して高くはないが、打点もチャンスメイクも期待できる存在に。

3年の夏も引き続き3番に入り、初戦で1安打、2戦目はタイムリー1本に3ラン、3回戦、準々決勝もタイムリー、準決勝では押し出しを選び1打点、決勝では無安打に終わったが、犠飛で1打点と、予選は3割6分4厘、8打点、4盗塁と好成績を残した。甲子園でも初戦は犠飛で1打点、2回戦では先制のタイムリーと打点を挙げる。準々決勝では1安打と1四球選ぶも、チームはここで敗れた。3年のレギュラーの中では最も低い通算打率だが、15打点は同世代の中では最多。盗塁も2番目に多い9つ決めている。

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1年の秋からレギュラー、都大会初戦では無安打ながらも1四球を選ぶ。しかし調子が悪かったので2回戦はスタメンから外れてしまう。2年の夏は2回戦、3回戦と連続タイムリーヒット、四球も一つずつ選んでおり、下位としてはじゅうぶんな働き。その後2試合は無安打に終わるが、決勝ではヒット1本、犠飛で1打点、四球と盗塁も1つずつ決めており、チームの勝利に貢献した。甲子園では初戦は無安打だったが、2回戦で1安打、3回戦でタイムリー、また、四球を選んだり、犠打を決めるなど、できることをしっかりやってのけた。秋から5番を任されたが、地区大会の2回戦で2安打1打点を挙げた以外は目立った活躍がなく、春の甲子園でも4-0と不発。

4番となった3年の夏では3試合連続無安打と足を引っ張る形になったが、準々決勝でようやくヒットが1本出ると、準決勝では勝ち越しタイムリー、決勝では同点のソロ、そしてサヨナラとなる2ランと大事なポイントで打ってくれた。甲子園でも初戦は無安打だったが、2回戦では3ランに2点タイムリーと3安打5打点の活躍。しかし3回戦では相手投手にねじ伏せられ敗退。この世代ではもっとも能力が高かっただけにかなり期待していたが、終わってみればレギュラー出場した同期の中で最も低い打率に終わった。波のある選手で、よく15打点も稼げたと思う。




適当な選手がいなかったので空きポジションだった遊撃手へコンバート、1年の秋からレギュラー。都大会では2戦目に1安打、地区大会で2四球と急造の野手としては出塁率はまずまずの結果。2年の夏も8番でレギュラーとして出場。初戦は1四球、2戦目も2四球に犠飛による打点1のみとヒットは出なかったが、3戦目にタイムリーを含む2安打、準々決勝も2本のタイムリーと結果が出始める。準決勝、決勝ではともに1安打ずつと予選は3割1分6厘、5打点と期待していた以上の働き。

甲子園では初戦でタイムリーを打ったがその後2試合は無安打。ただ、3回戦から決勝まで必ず四球を1つ以上選んでおり、出塁率は3割3分3厘と、下位で決して高くない能力からすれば、じゅうぶんな働きといえる。2番に入った秋の都大会では2試合連続無安打ながらも、初戦で1犠打、2盗塁、2戦目は1四球と、つなぎとして最低限の役割は果たす。3年の夏も2番を任され、初戦は2安打1盗塁、2戦目はタイムリー1本に1四球。そして3回戦では2打席目で先制の3ラン、3打席目はソロ、4打席目はコールドとなるサヨナラソロと3打席連続弾と大活躍。準々決勝でも先制のタイムリーを放ったが、チームは逆転負け。




同期のなかでパワーは最低、能力値も平均を下回り、当初はそれほど注目されていなかった。当然、出番はなく、ようやく2年の秋になってサブポジションの二塁手でレギュラーとなる。地区大会までの4試合のうち2試合で無安打だったが、他の2試合ではマルチ安打を記録。地区大会の2戦目ではホームランも打った。春の甲子園では2回戦で3安打をマークするなど全試合でヒット。打率の高さから3年の夏は2番を任されたが、不調で初戦は欠場。復帰した2戦目から4試合連続安打、決勝は無安打に終わるも押し出しを含む2四球を選び、予選は打率3割5分台、1本塁打、7打点、6盗塁と活躍。甲子園でも初戦で4安打3打点、2戦目も3安打1打点でチームは大勝。しかし、3回戦では1安打、準々決勝では無安打と失速し、チームはここで敗れた。それでも甲子園では4割4分4厘、4打点と高打率をマークし、同期の中ではトップとなる通算3割5分7厘の打率を残した。




同期の中では一番優秀な選手。1年の秋からレギュラーとなり、初戦で2ラン、2戦目に3安打と好スタート。しかし地区大会、そして2年の予選の準々決勝まで無安打が続く。準決勝にようやくホームランを含む2安打が出ると、決勝でもタイムリー1本に2つの犠打と復調の兆しをみせるも、甲子園では2試合で1安打に終わった。秋は3番に入り、地区大会までの4試合のうち3試合で安打を記録。春の甲子園では4試合全てでヒットを打ったが、複数安打ではなかったので打率はあがらなかった。3年の夏は準々決勝以外はヒットを打ち、予選は3割3分3厘、1本塁打、6打点、4盗塁。甲子園でも2試合連続マルチ安打で2打点ずつ挙げたが、以降2試合で1安打と失速しチームは敗退。通算では打率はあまりあがらなかったが、打点20は同期の中で最多となった。



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