新入生のデーター、戦績、ポジション別の選手パスワードなど、実況パワフルプロ野球15の栄冠ナインをつづったブログです。
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40年が経過しました。 10年単位での成績は上記のとおり。 前10年と比較すると、だいぶ勝率が落ちている。とくに夏の甲子園へ出場するのが厳しくなった。優勝も10年間で1度もできないのでは・・・と思われたが、ようやく1回達成できた。意外にも地区大会へは9度も出場できているが、やはり春の甲子園への出場は難しい。 きつかったのは天才肌の投手を擁しながら、その天才肌が2回戦で打たれ敗戦した34年目。翌年は決勝まで進むも予選突破できず、さらにその次の年に至っては予選で初戦敗。もう2度とこんな3年間は味わいたくない・・・ 甲子園での試合数は半分近く減少したので、プロ入りした人数はあまり変わらないが、能力的には微妙な選手が多い。天才肌の投手と野手がそれぞれ1名来てくれたのに、満足のいく育成ができなかったのが悔やまれる。 PR 同期の野手の中でただ1人特殊能力がなかったが、そのぶん能力値が少し高かったこともあり、1年の夏からベンチ入り。しかし打席に立てたのは予選準々決勝の1打席のみだった。秋の都大会では2戦連続ヒット、タイムリーで打点も一つ挙げている。その後は、地区大会、そして2年の夏の予選2回戦までの3試合で無安打。3回戦でようやく2安打し、準々決勝でも1安打放つも、チームはここで敗退。秋では1番を任され、初戦は2安打1盗塁と結果を出したが、2戦目は1犠打のみで地区大会にすら進めず。 しかし内野安打、盗塁、チャンスメーカーと俊足タイプの選手にほしい能力を練習試合で取得。3年の夏の予選直前までにはパワーもじゅうぶん上がったことから、3番を任される。初戦となる2回戦でソロ、3回戦でタイムリー、準々決勝では先制の2点タイムリーなど3打点、準決勝と決勝では一時同点となるタイムリーを放つなど、全試合で打点を記録。予選は4割9厘、1本塁打、8打点、6盗塁と好成績を残した。甲子園でも初戦でタイムリーを含む2安打、2四球、4盗塁とチームは大差で勝利。しかし2戦目は1安打に1犠打、3回戦ではとうとう無安打に終わり、自身の打撃結果が悪くなるとともにチームも苦戦を強いられ敗退。それでも盗塁16は同期の中で最多、通算打率は3割4分3厘、10打点は同期の中で2番目に良く、ここまでの数字を残す選手になるとは想像していなかった。 能力的に優れているわけではなかったが、ポジションが空いていたので1年の秋からレギュラーとなり、都大会では2試合連続安打。2年の夏も7番で出場、3試合で1安打と振るわなかったが、敗戦となった準々決勝ではタイムリー1本を含む2安打を放つ。秋ではサブポジションの外野手として2番に入るが2試合で1安打に終わった。 3年の夏では、ここまで目立つ働きがなかったので控えにするかどうかの瀬戸際だったが、下級生に有望な選手もいなかったので、特殊能力により左投手に強い選手を並べるため6番を任される。レギュラーポジションを失う危機感からか、初戦となった2回戦はタイムリーを含む4安打。3回戦では1四球のみで無安打だったが、準々決勝ではソロと犠飛で2打点、決勝でも3安打2打点と、予選は4割5分、1本塁打、5打点、4盗塁と活躍。ドラフト候補も視野に入り安心したのか、甲子園では2試合で1四球、2犠打、そして3回戦では4打数無安打、3三振といいところなく終わった。 夏の予選では1年生投手1人をベンチ入りさせるため、調子の良かった村田が選ばれた。3回戦、ワンポイントで初登板、準々決勝では2イニング目に被弾し1失点したが、決勝でもワンポイントで起用された。甲子園では優勝したものの、ベンチ入りしただけで1度も登板する機会はなし。秋の都大会2試合で先発、いずれも無失点と好投したが、リリーフ登板した地区大会では同期のピンチを救えず敗戦。2年の夏の準々決勝でもピンチの場面でリリーフしたが同点打、さらに勝ち越し弾を浴び敗戦。秋は再び先発に戻り、初戦は無失点に抑えたものの、2戦目の序盤に同点とされて以降は味方の援護がなく、延長の末敗れた。その冬の合宿で重い球、奪三振の特殊能力を取得。3年の夏の予選では3試合に先発し大崩れすることなく予選突破。甲子園でも先発した1回戦を無失点に抑えたが、3回戦では終盤につかまりゲームセット。 |
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